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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第一回
死ぬなら一緒


 人には、一度ならずとも、生死の間をさまようことがあります。そして、その経験がその後のその人の人生に大きな影響を与えるものです。今、僕は人間生きてるだけでありがたい。どんなに苦しい状況であろうと、生きているだけで幸せなことなのだ。そう、心から思います。それは、僕自身が誕生した時代背景と大きなつながりがあると思います。

 僕が生まれたのは、昭和20年。7月19日。終戦の約一月前です。場所は動乱の旧満州。奉天(現在の中国東北地区・審陽市)なぜ、すがはら一家が中国に渡ったかということについては、また後日お話しましょう。とにかく、終戦直前の旧満州は混乱のさなかでした。昨日まで使用人として働いていた中国人達が今度は、日本人を追撃する立場に変わったのです。その当時、日本は満州帝国建設を旗印に中国進出、その過程の戦争の悲惨さは歴史に記された通りです。日本人達は怯えきり、次々に奉天からの脱出が試みられました。姉達の話によると、連日のように日本人の死体を積んだ馬車が街を走っていたそうです。ある日、中国人の襲撃の話が持ちきりとなりました。けっして、中国人が恐ろしいという話をしているのではありません。それまでの日本軍の残虐行為や、さまざまな出来事から戦争という異常な環境のなかで恐怖の日々が訪れてきたのです。その時、元軍人だった父は、大勢の仲間達と緊急会議となりました。そして、その結果、男だけ現地にのこり、女と家族は馬車で安全な街へ夜逃げすることになったのです。まるで、映画の1シーンのようですが、それが戦争です。女と子供達は、次々に荷物をしょって馬車に乗り込みました。暗闇に紛れて.......

 ところが、母が父にこう申し出てきたのです。「お父さん、私はあなたの妻です。そして、この子供達はあなたの子です。家族は、どんな時もひとつです。あなたが、死ぬ覚悟で残るのであれば、私も残ります。子供達も残ります。死ぬなら一緒なのです。私たちは家族です。」目に涙をためて、死ぬ覚悟でそううったえる母の思いに父は胸が凍える思いだったそうです。引き揚げてから、妹が生まれ、6人兄弟となりましたが、その時は僕が5番目。生まれたばかりで、5人兄弟でした。4人の幼子と一人の乳飲み子を抱えて母の気持ちは如何ばかりかと思うと、今でも胸が痛みます。結局、死を覚悟してすがはら一家は現地にとどまったのです。そして、翌朝、恐ろしいニュースが届きました。逃げた家族が全員惨殺されたということです。財産を積んでいったのが、命とりだったのです。そして、死ぬ覚悟で残ったすがはら一家が、生き残ったのです。生と死。それは、あまりにも紙一重です。生きようと思って死ぬこともあり、死のうと思って生き残ることもある。生まれたばかりの僕には、それを選ぶ力はありませんでしたが、今でも母の愛の力の大きさには、何か偉大なものを感じる時があります。僕の幼い命を救ったのは、父に対する母の愛だったと思います。ところが、またすがはら一家に思いもかけない恐怖が忍びよることになるのです。

続く.....。

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