|
そんないじめにあいながらも、僕は日増しにたくましく育っていきました。僕がなかなか茨城弁が抜けなかったのには、父・勇次郎の影響が大きかったのかもしれません。父に茨城弁でいじめられたと言うと、父は大きな声で、「茨城弁で何が悪い!!茨城には茨城のよさがあるのだ!おまえは、悪くない!!」と言って「お父さんはな。絶対に東京弁になんか、なるもんか!!ごじゃっぺだろうと、でれすけだろうが、それでいいんだ!!お父さんは、これからも茨城弁でしゃべっからな!!いがっぺ?」僕は、うなづきました。だって、そんな頑固な父が僕にはたくましく見えたのです。僕だって負けるもんか!!
そんな父が一回だけ、突然、授業中に僕の教室をたずねたことがあります。ちょうど、お昼休みの直前でした。ガラリと大きな音で教室の後ろのドアが開かれると、ゴムの前掛けをした父が立っていました。
「やすのり!これから、平和島温泉に行くぞ!さぁ、帰るべ!」先生も驚いています。「先生、お世話になっとるなぁ。これから、やすのりを平和島温泉に連れて行くから、これで失礼します。」と僕の席にツカツカと来てしまいました。「さぁ、早く、かばんをかたづけて!」僕は、慌てて帰り支度をして、大きな父の手を握りながら、教室をあとにしました。今、思えば、まるでテレビドラマの一場面のようです。
当時、365日休まずに働き続けていた父が、突然、自分の時間が取れたのです。そこで、東京に来て、悲しい思いをしている僕を近くの平和島温泉へ連れていってくれたのです。あまりにも不器用な父の愛情でしたが、僕は恥ずかしさよりもそんな父の豪快さがうれしく思いました。きっと、先生はまた僕を憎らしく思ったかもしれません。
平和島温泉のぬくもりと、その日の幸せは今でも忘れられません。お父さん、本当にありがとう。
|