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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第三十回
金魚と餌

 早稲田大学高等学院には、いろんな生徒がいた。正直言って僕は引き揚げ者の子供だったし、決して経済的に豊かな身分ではなかったので、入学してもなんだか居心地があまりよくない気がした。

 話をしていると、やっぱり私立だけあってお金持ちの家庭の子供がほとんどのようだ。僕はと言えば、月謝を払う時期になると汗を流して働いている両親の顔が浮かんで申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 今の子供達は勉強していれば、誉められるけれど、僕にとってみれば、家の手伝いもしないでこうやってのんきに学校で勉強している自分の方がなんだか家族のみんなに悪いような気がしてならなかった。

 クラブは、歌が好きだったので、グリークラブ合唱団に参加した。そう言えば、同学年の部員に映画監督の市川昆の息子もいたっけ。けっこう仲良かったなぁ。今頃、何をしているんだろう。

 とにかく、日がたつにつれ、友達が増えていった。その中に鏡山君と太郎良君がいた。太郎良君のお父さんは、X線の学者でちょうど授業中にお父さんがX線で亡くなったという知らせが入ったのが、今でも強烈に記憶に残っている。

 僕たちはよく3人で遊んだ。鏡山君の家は中目黒だった。招かれて遊びに行くとこれまで見たこともない大邸宅だった。都会のまんなかにこんなに大きな家があるのかと僕は驚いた。庭はどこまでも広く、二匹の巨大なグレートデン犬が遊び回っていた。こんな巨大な犬も生まれてはじめて見たのだった。

 鏡山君の家には、立派な金魚の水槽があった。その金魚に餌をあげる時、3人でちょっとした人生論になった。太郎良君は、金魚にあげるいとみみずを見て、人間も牛や魚やいろいろな命を食いちぎって生きていく。生きていくということは、汚く、残酷なことだ。と、暗い表情でつぶやいた。生きるということは、命を奪うこと。太郎良君は苦しそうに言った。鏡山君はそれを見て「そんなことを考えたってしかたがないよ。」と笑いながら次々に生きたイトミミズを金魚に食べさせた。

 僕はその時、真剣にこう思った。人間が生きていくということは、どう努力しても必ず他の命の犠牲を伴うものだ。だからこそ、本当にその犠牲に恥じない人生を送る必要があるのだ。その犠牲の本当の痛みをしっかりと考えられる人間に成長していかなければいけない。もちろん、高校生だったから、まだまだ曖昧な認識ではあったけれど。鏡山君の家での金魚の餌の風景は、今でも忘れることはない。

続く......

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