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僕の高校時代の日常はまさに普通。普通の生活を満喫しました。不思議なことに絵や歌が得意だったので、本当はそうした道に進みたい気持ちもあったのですが、それを否定して「普通」にこだわる自分がありました。
「普通の生活をしたい」「普通の人生を送りたい」真剣にそう思ったのです。普通なら、有名になりたいとか、世界で大活躍したいとか考える年頃なのに、そんなことばかり考えていたのです。
それは当時、絵描きといえばゴッホ。もちろん、作品は天才的ですが、その人生はといえば、悲劇です。貧困の中で死を迎え、自らの耳を切断し、次々におそろしい出会いです。
音楽家といえば、ベートーベン。耳が聞こえなくなり、大勢の人と対立し、失意の中に死んでいきます。どういうわけか、絵描きになるとか、音楽家になるということと悲劇の人生が高校生の僕の頭の中ではひとつにつながっていたのです。
もちろん、自分が天才であるわけではありませんが、芸術を志すということは、決して幸せなこととは思えなかったのです。芸術家として悲劇の人生を送るのか、普通に幸せな人生を送るのか。そんなことを小さな心で真剣に考えていたのです。
そして、悲劇の人生はいやだと思い、普通にこだわり続けたのです。今、思うと本当におもしろい話ですね。でも、最近でも芸術は悲劇の人生の上にしか成り立たないと思っている人もいると思います。
結果的には、悲劇か、幸せかは、その人の人生観によるものであって、芸術をやるから悲劇の人生を送らなければならないということではないと思っています。
ただ、幸せな人生というものは、多大な努力と時間をかけなければ築けないということも事実です。そして、これまでの芸術は悲劇の上に成り立つという時代から幸せの上にこそ、新時代の本当の芸術が成り立つという時代にしていくことも大切な気がします。
とにかく、高校時代の僕はかたくなに「普通」の生徒を生きていたことは事実です。ところが、先日、高校時代の友達に久しぶりに会った時、この話をしたら、「何言ってんだよ!すがはら、おまえは高校時代から何やっても目立ってたぞ」と笑われてしまいました。自分だけが気がつかなかったのですね。
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