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いつものように、僕は土曜日、当時四谷にあったフジテレビのスタジオに出かけました。テレビの収録は一般に段取りだけをやるドライリハーサル、それから、カメラを使ってやるカメラリハーサル(カメリハ)さらに、本番通りにやるランスルー。そして、最後に本番撮りです。
最近は、そこまで丁寧な収録はほとんどしないようですが、そのころのミュージックフェアはそれは念入りでリハーサルのたびに手直しを加え、本番が終わるのは翌朝ということもよくありました。
ところで、その日スタジオで岡山プロデューサーを待っていると片手に一枚のパンフレットを持って笑顔でスタジオ入りしてきました。「菅原君!アメリカに行かないか?それも船で」僕は、一瞬驚きました。その頃、アメリカに行くなんていうことは、まるで夢のような時代です。岡山さんはそのパンフレットを手にして説明をはじめました。「さっき来る時、駅前でもらったパンフレットだけど、19万円で太平洋を横断して、船でアメリカに行けるんだって。一ヶ月の船旅。なんだか、楽しそうだなぁ。太平洋大学と言うんだよ。」パンフレットを読んでみると、当時、日本のトップジャーナリストだった大森実の主催する新しい船上大学(多分、歴史上日本で最初の船上大学だと思うけれど)で、講師として映画評論家の荻昌弘、作曲家の浜口倉之助、評論家の秋山千枝子、草柳大蔵.....。当時としては、それこそ豪華なメンバーをそろえている。講師自身、アメリカに行けるということで、最高峰の人々が集まったのであろう。
大森実氏の言葉によると、第二次大戦で日本が負けたのは、本当の世界を知らなかったからだ。という。もし、日本人がアメリカの真の強さと大きさを本当に知っていたら、竹槍で戦って勝てるとは思わなかったはずである。今のイスラム圏の情報を制限された国の状況に少し似ているが、その頃は、与えられた情報だけで、日本の国民が動いていたのだろう。確かに危険なことである。そこで、大森実は、日本ではじめて800人という若者を集めてアメリカ本土に直接乗り込もうと壮大な計画を立てたのであった。もちろん、試験と面接がある。全国から志願者が続々と名乗り出てきているという。なんと、岡山プロデューサーが「なんとしても、僕は行きたいなぁ。たとえ会社を一ヶ月休んでもそれ以上のことがあると思うんだ。菅原君もいっしょに行かないか?」僕は一瞬戸惑った......。
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