top


Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第四十二回
太平洋合唱団の誕生

 どうやってこのマルガリータ号の危機を救うか。今思えばおおげさな話に聞こえるかもしれないけど、そうやって心が荒廃し、ぎくしゃくした環境のなかでは深刻な問題だったのだ。人間の信頼関係が崩れ、お互いののしりあう日々のつらさはきっとその状況にならなければわからないかもしれない。あれほどいばった人間であってもそうした環境に陥るといかに傷つきやすくもろい生き物であるかをつくづく感じた。

 僕にできること、それはこの環境の中では建築家というよりはむしろ、歌であった。幸運なことに僕は不思議な直感で乗船する前にいろいろな歌の楽譜を買い集めていた。そして、なけなしのお金をはたいて自前でピアニカを一台購入して船に乗り込んでいたのだった。この二つがどんなお金よりも大きな力を発揮したのは言うまでもない。船の事務所にかけあって楽譜のコピーをさせてもらい、太平洋合唱団の譜面作りを徹夜でした。そして翌日、勇気を出して甲板にたち、たった一人で歌い始めた。

 はじめのうちは不思議そうに見ていた若者達がいつのまにかいっしょに歌い始めていた。「君の行くみちは果てしなく遠い....」「いのちかけてと誓った日から、素敵な思いで残してきたのに...... 」歌声は甲板に響き渡った僕はその日から毎日正午に甲板にでかけて歌うことにした。それを楽しみにする若者達とのふれあいがあっという間に広がりついに何もない甲板に太平洋合唱団が誕生したのである。京都の同志社大学で合唱をしている女の子、慶応大学の合唱部の男の子、それぞれにさまざまな個性を持った若者達が日を重ねるごとに集まりはじめ、船にはあたたかいふれあいが生まれた。

 そのとき、僕はどんな物質よりも目に見えない歌や絵やそうした心を豊かにする文化が人間にとって大切かを痛感した。人間の豊かな心さえあれば、どんな場所にも文化の花は開くのである。その時、21世紀の地球がいよいよ文化の時代になるのを予感した。文化こそが、立場を越えて人の心を結ぶことができるのだ。そういう意味では、ワールドカップのサッカーもやはりスポーツ文化のひとつだと思う。

続く......

top

 

 




………禁無断転載 1999 2000………