やすのり日記2004


 12月6日(月)「この空に生きる」


 11月15日のふうたんさんからの書き込みに30年以上前、テレビで聞いたという歌の問い合わせがありました。どこかの野外コンサートで歌った歌で、ランランランラン♪心の花が咲く日まで♪という歌詞だったとのこと。そう、この歌こそが僕の最初のレコーディング曲。「この空に生きる」だったのです。そして、明日偶然にも新宿のシャンソンライブハウス「き」で、催すコンサートもその出会いだったのです。

 「この空に生きる」との出会いは、僕がまだ早稲田の大学院の都市計画の学生だった頃です。都市化してますます殺伐としていく東京。一人の都市計画家としてなんとかしてこの東京に温かいふれあいを取り戻したい。そう願って日比谷の野外音楽堂でコンサートを開催したのです。客席には、あの市民政治家、市川房枝さんや今は堂々たる政治家になった若き日の管直人さんなどの姿もありました。とにかく、名もない市民が力を合わせてコンサートを開いたのです。もちろん、政治やイデオロギーは関係ありません。とにかく、本当に歌を愛する人達が集まったのです。

 そんなある日、突然、客席からホームレスのおじさんが舞台に駆け上がり、自分が作った歌だという曲を無伴奏で歌い出したのです。その歌はどんな人の心にもしみ込む不思議な歌でした。「どこまでも、どこまでも、この空に生きていく。泣いたらだめだよ。笑ってごらん。いつか心にしあわせがくるから。ランランランラン。雲に乗ってやってくる。」いつの間にかバンドの仲間がアドリブで演奏をはじめました。そして、ついに会場中ひとつになっていきました。なんという不思議な歌。

 その話が偶然、コンサートに来ていた朝日新聞の記者によって記事で紹介されると、TBSテレビから電話がかかってきました。「朝のモーニングジャンボという番組でぜひ、歌ってほしい」僕はピアニストの上北進さんに連絡しました。上北さんも快く協力してくれ、思いもかけないテレビ出演となりました。ちょうど、レコード大賞のノミネート歌手の発表の翌日で選ばれた歌手達が自分の歌を歌ったあと、僕は最後にピアノ一本で不思議な歌「この空に生きる」を歌いました。すると、どうしたことでしょう。テレビ局には感動と問い合わせの電話が殺到しました。歌っているのは誰ですか?あの歌はなんていう歌ですか?そして、驚いたことにたくさんのレコード会社からレコード化の申し込みがテレビ局に届いたのです。一番最初に電話がかかってきたのがビクターレコードだということで、僕はとりあえずビクターレコードから「この空に生きる」をレコード化することになりました。余談ですが、この最初のシングル曲のB面になんでも好きな曲を入れていいというので、まだ日本ではほとんど知られていなかった「マイウェイ」を入れたのですから、今思えば早かったですね。それから、これも偶然の出会いですが、その時、今は亡き作曲家の古賀政男先生がスタジオにいたのです。そして、わざわざテレビ局のディレクターに「あの人はすばらしい歌い手になるから大切に育ててください。」と連絡してきたというのですから、今思うと本当に幸せでしたね。もちろん、その後僕の場合、芸能活動というよりは世界を舞台に活動してきたので、古賀先生の期待に応えられたかどうかはわかりませんが、歌手すがはらやすのり誕生秘話のひとつです。

 ところで、先日、新宿で仕事があり、たまたま帰りにシャンソンライブハウス「き」というお店に立ち寄りました。昔は銀座に「銀パリ」というシャンソン喫茶があったのですが、とてもなつかしい思いでです。そして、そこでなんとあのピアニストの上北進さんに再会したのです。上北さんはその後、いろいろなところで活躍していますが、週に何日かこの「き」でレギュラー出演しているというのです。僕は恩返しも含めて、もう一度原点にかえって上北進さんのピアノであのなつかしい「この空に生きる」や、シャンソンを歌ってみたいと思いました。そして、12月7日、つまり明日のプライベートライブが実現することになったのです。さぁ、明日はどんな思いでの日になるでしょうか。


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