「助け合い」
戦後の教育で、個性と自立が重んじられ、日本人も随分変わりました。日本の歴史を振り返ると、聖徳太子の「和をもって尊しとす」から始まって、人間の協力こそがもっとも基本とされてきました。ただ、長い封建制の時代を経て、いつのまにかそれが集団の力を過大評価し、一人一人の人間の個性を無視する社会となり、太平洋戦争で世界からバッシングを受ける結果となったのです。僕はそんな時代背景の中で、育ちましたが今思うと世間的には、あまりにも集団を否定し、個の確立を願うあまり、時によっては自己中心主義に陥る危険がなかったとはいえません。少し前まで、子育てにしても親子兄弟が一緒の部屋で生活するのは、個人の喪失につながると考えられ、少しでも早く乳児にベッドを与えたり、個室を与えたりすることが子供を自立させる為に大切な事だと考えられていました。「アメリカでは子供が成長したら十代のうちに家を離れ、独立させることが当たり前」と教育学者も弁をふるい、「二十歳過ぎて、親の家に住んでいることは異常なこと」と笑いました。
話は変わりますが、今、日本の社会は高齢化時代を迎えて、年金など老人問題が深刻化しています。これからも物価ばかりが上がり、収入が上がらず、若者は減り、老人ばかりが増えていく時代になることは見えています。残念ながら孤独な不幸な老人が数多く社会から取り残されていくことは間違いありません。だれがどうやってこうした老人達に光を与えることが出来るでしょうか?
もちろん年金問題は重要ですが、僕は昔から老人問題の1つに、家族の問題があると考えています。僕の家は死んだ父や母の考えもあり、家族が仲良くお互いに助け合うように育てられました。そのためか、もちろん今でもいざというと兄弟が集まって助け合います。僕のディナーショーやコンサートにも必ず家族の誰かが客席で応援してくれています。家族に困った問題が起きると、全員が力を合わせて解決します。これからも一生その助け合いは続きそうです。老人問題を考える時、古い考えかもしれませんが、こうした家族の助け合いが大きな力をもってくると思うのです。ただ、こうした助け合う家族関係は一日ではつくれるものではありません。子供の頃からの家族の助け合いがあってこそ大人になって、それが続くものです。
もし、親子が仲が悪いまま生活し、そのまま老後を迎えたとします。もちろん老人施設に入る事も出来ますが、それが本当の解決になるとは限りません。親子が仲良く生きていくということは、思ったよりも難しいことです。しかも長い家族生活の中で積み重ねた色々な感情がそのまま老後に影響を与えるからです。年をとってから突然、子供に何かを頼んでもそれは無理な事です。長い家庭生活の中で、どれだけ親を尊敬し、愛情を持つ子に育てる努力をしてきたか? それこそ家庭生活の一日、一日の子供に対する自分の振る舞いが老後の鍵を握っていたのです。
最近は、二十歳を過ぎても家を出ない子供達も増えています。新聞等を読むと、ニートの問題も深刻です。これもそれまでの家庭生活に大きな原因があると思います。日本の親子が考え違いをしているのは、「助け合い」と、「頼り合い」だと思います。「助け合い」というのは、まず親子とも自分の事は自分でしっかり責任を取った上で、相手を助けるということです。「頼り合い」というのは、甘え心で、自分の力の無さを相手に頼って、責任をきちんと果たそうとしないことです。これではお互いに苦しくなってしまいます。最近の日本の家族関係を見ると、そんな傾向があるような気がします。その結果、家族であってもお互いを信頼せず、お互いの要求ばかりをぶつけあい、争い合うのです。
今の日本で大切なのは、「頼り合い」ではなく、本当の意味での「助け合い」です。古代インドや日本では、大家族制が基本となりみんなが助け合って生きてきました。21世紀はむしろアジアのこうした大家族制的な、助け合いこそが社会を救っていくような気がしています。二十歳を過ぎても親を頼るだけでなく、自分の実力をつけて、親の大きな力になる。また親も健康に気をつけて向上心を忘れず、子供の大きな力になる。そうすれば、たった一人で生きていくよりも、親子で助け合い、どれだけ力強く幸せな人生になることでしょう。親子は死ぬまで親子です。お互いの信頼さえあればこの助け合いは、一生続くのです。この幸せは、決してお金で買えるものではありません。誰も助けてくれる人のいない老人のホームレス生活などは本当に悲惨ですね。この考えは、地域や、社会にも通じるものだと思います。老人問題が深刻化している今、むしろそうした一見古く思われがちな考え方に、案外、鍵が含まれていると思います。
どんな困難も乗り越えて、お互いに助け合って生きていきましょう! |