人生エッセイ

父の教え〜その2 「職業に貴賤なし」

 僕はよくこんな質問をうけます。「一級建築士を持ち大学の教壇にまでたっていたすがはらさんが、どうして歌手になったのですか?」とか、「もったいないですね」とか、素朴な質問なのですが、正直言ってそんな時、ほんの少し悲しい気持ちになります。
やすのり伝記を読んで頂いた方には、お分かりと思いますが、僕は歌手という仕事は、人間としてとても尊い仕事の1つだと考えています。というより、この社会にある、あらゆる仕事はひとつひとつかけがえの無い尊い仕事だと思っているのです。
僕がこういう価値観をもつようになったきっかけは、やはり今は亡き父の言葉でした。早稲田の学生時代、僕は建築学を学ぶと同時に毎週土曜日は、フジテレビのアシスタントディレクターとして、『ミュージックフェアー』という番組の制作に携わっていました。当時のフジテレビの制作局長が、岡山尚幹さんといい、早稲田の合唱団コールフリューゲルの先輩でした。もちろん『ミュージックフェアー』という番組を生み出したのも、岡山さんです。ディレクターは、芸術大学出身の柴野さん。音楽担当は前田憲男さんと服部克久さん。美術担当は妹尾河童さん。という蒼々たるメンバーで、若い僕は皆さんにとてもよくしてもらいました。もちろん司会の長門裕之さん、南田洋子さんご夫妻にはご自宅に招いて頂いたり、母にプレゼントを頂戴したりと、ほんとうにお世話になりました。美空ひばりさんや、岸洋子さん、アダモさんなど、トップ歌手の皆様とお目にかかれたのも、この番組を担当させて頂いたお陰です。

ところで就職の時期を迎え、僕には大きな悩みが始まりました。職業として何を選ぶべきか?もちろん誰でもが通る道ですが…。
建築学を勉強していた僕は、まず建設会社に就職するか、又は大学院に就職するかの建築家への第一の道。そしてテレビ局からの強い誘いもあり、思い切ってテレビ局への就職への道。
たしかに当時は、テレビ全盛でテレビが社会をつくると言われていた時代でした。社会に強い関心を持っていた僕にはそれもとても魅力的でした。それから、これは一番漠然とした道でしたが歌手として活動して行く道でした。ただ、その頃の僕は、テレビ、ラジオで活躍するいわゆる職業歌手という生き方になんだか不思議な抵抗感を感じていました。その心がその後、僕に世界を回ってボランティアで歌う活動の原点につながっていったような気がします。

僕は、本当に迷っていました。自分の決断が自分の一生を左右することになるからです。そんなある日、ふと勉強机の引き出しを開けると、生まれて初めての父からの手紙が入っていました。封筒の上には『父より』と書かれています。『お父さんからの手紙?』僕は、おずおずと封を切りました。そこに書かれていたのは、僕の進路に対する父としての考えでした。
これまで一度として父から自分の人生を指示された事がなく、すべて自分で決めて行動してきた僕にとっては、衝撃的な出来事でした。父の手紙の内容は次ぎのようでした。

やすのりへ
人間の職業には、貴賤はありません。
やすのりがどんな職業を選ぼうと、それはお前の自由です。
世間では大学の先生が偉いとか、お医者さんが偉いとか言う人もいるけれど、それは間違っています。たとえ大学の先生でもお医者さんでも人間のくずもたくさんいます。やすのりには
何かやる時に、ラーメン屋でもやるか、とか八百屋でもやるか、とか安易に考える人間にはなってほしくありません。おいしいラーメンを作るのにも、とても努力が必要です。また、立派な野菜を仕入れて安く届ける八百屋さんになるのも大変な努力が必要です。どんな職業についても努力をおこたらず、立派な仕事をする人間こそ尊いのです。だからやすのりの一番やりたいと思う事を仕事にしていって下さい。


父からの手紙にはさらに僕に対するアドバイスが書かれていました。


もし、やすのりがテレビの仕事がしたいのなら、岡山さんにも相談してテレビ局の入社試験を受けてきちんとしたかたちで仕事につくように努力することが大切だと思います。また、歌手という役目もとても意義がある仕事です。これも出来ればレコード会社などのオーディションを受けて、自分の力をしっかりつけてから努力して下さい。何をするのもやすのりの自由だけれど、父としては、せっかく学問を積んだのだから、大学院に進みさらに一級建築士を取得してくれると嬉しいです。

何をするのも自分の自由…
ありがとうお父さん。おもわず心でつぶやきました。
そして最後の父としては嬉しいという一言が胸に迫りました。
結局、大学院に進み、さらに博士課程へ進学して一級建築士を取得したのですが、今思えば、遠回りだったけれど、歌手としても本当に有意義な経験をすることが出来たと感謝しています。その後、大学を辞めて胸を張って歌手の道に転向する決心ができたのも父のあの『職業に貴賤はない』という一言でした。これからも本物のラーメン屋さんになるのと同じで、本物の歌い手を目指して出来るだけの努力をし続けて行きたいと思っています。



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