第九回「ゆうた誕生」

 ゆうたが生まれたのは1977年8月21日。場所は大田区大森の日赤病院です。その病院の前には児童公園があります。ゆうたが生まれた日、病院を訪ねる前に何気なくその児童公園のブランコに揺られていると、小さな子供達が砂場で遊んでいます。それまでは、当たり前の光景が、今は不思議に輝いて見えます。小さな手がシャベルで砂を一生懸命掘っている。小さな命が動いている事自体、とても意味があるような気がしてきました。

 もちろん、その小さな子供は自分が今生きている等という事は思いもかけずに無心で遊んでいるのでしょう。よく、頭のいい子や、顔のいい子が欲しいという親の声を聞くけれども、その時の僕の気持ちとしてはただただ命があればそれで幸せという感じでした。病室では、ガラス窓越しに小さな赤ちゃんがベッドに並んでいます。1人1人の赤ちゃんの足の裏に名札がつけられています。僕が子供の頃に見た母のお産は水戸の自宅でした。

 ある日の夕方、2階の和室が慌ただしくなると知らないお産婆さんが駆け付け、お湯を用意しています。やがて、妹の真理子が生まれました。4歳の僕は、生まれたばかりの真理子を不思議な目で見た覚えがあります。自宅での出産に比べて病院でのお産はなんと機械的な事でしょう。ベッドに並べられているゆうたが、なんだかいじらしく感じられました。じっと目を閉じて静かに眠っているゆうたの顔を見ていると早くパッチリと目を開けて欲しいと思いました。余談ですが、僕の顔はどちらかというと、目鼻クッキリ、濃い方(笑)南方系かな(笑)
だから、妻の明子はてっきり目はパッチリの色黒赤ちゃんを想像していたそうですが、なんと色は真っ白。やっと開いた目はつり上がっています(笑)最近、そこがいいなんて言われるそうですが。

 とにかく、無事ゆうた誕生です。もし、ゆうたが生まれていなければ、「ENDLESS CIRCLE」や「Race Problem」等のCDもこの世に存在していないし、B-DASHだって存在しなかったのですから、ゆうた誕生は祝福したいと思います。例の元・幽霊屋敷でゆうたはスクスクと育ちました。ゆうたのベビーサークルの上には、赤とんぼのオルゴールがぶら下がっていました。茶色い犬の顔からひもがぶら下がっていて、それを引っ張ると赤とんぼのメロディが鳴りはじめます。ゆうたが、眠くてグズりだすといつもそのひもをひっぱってあげると赤とんぼのメロディにうれしがっていつの間にか眠りにつきました。

 きっと、ゆうたがこの世に生まれて最初に聞いたメロディは、このオルゴールだと思います。そういえば、先日の僕の日本武道館コンサーとの時、ピアノ一本で歌った赤とんぼをすごくゆうたが誉めてくれましたが、ひょっとしたらどこかにこの記憶が残っていたのかもしれません。もちろん、ゆうたはそんな事は知らないはずですが、ゆうたを育ててみて時々ゆうたはお腹の中で僕の歌が聞こえていたのではないかと思う時があります。よく、人間は胎教が大切。生まれてからでは遅すぎる。お腹にいる間に語りかけたり音楽を聞かせたりする事が子育ての第一歩と言われますが、我が家の場合、結果として偶然にそうしていたような気がします。あの当時は、練習スタジオもなかったので僕のリハーサルをゆうたはお腹の中でいつも聞いていた事になります。また、妻の明子が大のクラシックファンでいつもクラシックをかけていたので、それも聞いていた事になります。これは、あくまでも憶測に過ぎませんが、ゆうたの誕生した環境に音楽が満ちあふれていた事だけは確かです。やがて、ゆうたは大森北保育園に入園しますが、そこでもおもしろい話がありました。

 

 


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