第十回「ゆうたちゃんの初舞台」

 ゆうたが生まれた頃、僕は歌手としての生活の他、早稲田大学だけでなく、東海大学の工学部で建築学科の教壇に立ったりしていました。この事はコンサートの時に生徒達がみんなでスタッフとして協力してくれたので、本当に助かりました。大学生達にとっても僕といっしょにコンサート作りをした事が青春のいい思いでになったそうです。ひょっとしたら現代の理想の先生像だったかも(笑)

 けっこう生徒達と青春論や人生論を戦わせたのを今思うと楽しい思い出です。あの頃の生徒達も今はみんな立派な社会人でしょう。

 とにかく、超多忙な毎日でこれに海外での活動が加わっていたのですから、体力勝負の毎日でした。一方、妻の明子も東京大学の医学部で博士号を取得後、女性科学者として東奔西走している毎日だったので、結局、ゆうたは保育園に預けなければならないという事になりました。

 我が子を預けるという事は、とても大きな意味を持ちます。どんな動物でも我が子が巣立ちするまでは子育てに全生命を捧げるものです。それだからこそ、次なる命が幸せにはぐくまれていくのです。ところが、最近の日本の社会では、幼い命をどれだけ大切にしているでしょうか。生まれたとたんに、生活の事情から我が子を託児所に預けてしまう母親も少なくありません。また、そこから起こる事件も数知れません。なんの抵抗もない幼い命にとって預けられた環境がどれだけ大きなプレッシャーとなってくるかその後の人生にトラウマとなって残り続ける事は十分に考えられます。

 私達は自分達の研究や夢の実現と今本当にこの世に生を受けたゆうたの命とをどうやって両立させていくか、真剣に悩みました。二人の一致した意見は仕事や夢は取りかえしがつくけれど、子供の命はかけがえのないもの。この世で一番大切なものという事でした。幸いな事に、区立の保育園を訪ねてみると優しい保母さん達や同じ年頃の子供達に囲まれて1人1人の赤ちゃん達が伸び伸びと暮らしている姿に接しました。本当に親以上の愛情がそこにありました。また、区立というところも気に入りました。よく、「我が子だけよければ」と幼い頃から子供を特別扱いして、高級車で特別な教育機関に通わせる親がいますが、私は大反対です。子供は地元でいろいろな人達との触れあいで育っていくのが一番だと思います。

 世の中には優しい人、いじわるな人、勉強の得意な人、苦手な人いろいろな人がいます。いろんな人との生活で泣いたり笑ったり苦しんだりしてこそ、本当に人間として育っていくと思うのです。もちろん、優しさが一番大切ですが。この優しさだって強く育ってこそ人に優しくできるようになるのです。だから、できるだけ区立の保育園施設がいいと考えていました。今、ゆうたが人を学歴やお金で差別しないでいろんな友達と仲良く音楽作りをしていけるのも本当によかったと思います。

 保育園で楽しみな事といえば、やはり学芸会です。私は保育園の時、学芸会で桃太郎の桃太郎役をやり、みんなから大拍手を受けた事が今でも強く印象に残っています。

 親ばかでしょうかゆうたの学芸会の当日は朝からソワソワして保育園に出かけました。演芸会場は児童と親達でむせかえっています。いよいよ、ゆうた達の出番です。うさぎやたぬきやきつね達のお面をかぶって一生懸命のお遊戯がはじまりました。まん中のうさぎは、身ぶり手ぶりお上手です。「あ!ゆうただ!」胸がドキドキ、ジっと見守りました。けれども、よく見るとゆうたではありません。さとし君です(笑)

 元気に踊るうさぎのわきで一匹のたぬきがほっぺたを真っ赤にしてうつむいて立ちん坊をしています。ピクリとも動きません。なんと、これがゆうたちゃん。「ゆうたちゃんがんばれ」心の中で必死に叫びましたが祈りは通じません。そのうち何もしないままたぬきは舞台のそでに消えていきました。

 家に帰ってからゆうたちゃんに何と声をかけていいかわかりませんでした。そのゆうたが今ライブで全国のステージに立って歌いまくっているのですから、人生わかりませんね(笑)ただ、ゆうたが人と競争をして勝つための人生ではなく、のんびり遅くても自分のやりたい事をじっくりとやり続ける子供だった事は確かなようです。

 子供を育てる事は待つ事。ただただ待つ事。信じて待つ事。待っていれば必ず自分の力でやり抜いてくれる。これが、親子の信頼関係ではないでしょうか。信じて待っていてくれれば子供も自分から努力する気持ちがわいてくるはずです。待つ事は時にしては不安だったりつらい事もありますが.......

 とにかく精一杯、舞台で立ちん坊をしたゆうたの初舞台に応援の拍手を送りたいと思います。ゆうたちゃんがんばれ!人生これから。いよいよ、ゆうたの多難な少年時代のはじまりです。

 

 


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