第三十二回「B-DASHの前身HAGUKIの誕生」

 蒲田の日本工学院専門学校に通いはじめたゆうたであったが、この頃、また運命的な出来事が起こった。それは弟のそうたである。埼玉にあるS学園高等学部に通っていたそうたが、地元の中学時代の仲間とバンドを組んであのホットウェーブコンテストに出場すると言い出したのだ。ホットウェーブと言えば、ゆうたが高校時代に出場してNO NAMEという名前でベスト40に進出したバンドコンテストだ。そうたと組んだのは田中和彦、荒瀬卓也、そう。現在のB-DASHのメンバー。タナマンとアラセの二人だ。彼等がゆうたを兄さん、兄さんと呼ぶのは実はこうした理由からなのだ。もちろん、そうたはボーカルはド素人。バンド歴もない。そのそうたが、ボーカリストとして応募しまた、何千という応募者の中から第一次予選を通過してしまい、、にっぽん放送の銀河スタジオへと出かけたのである。この時、歌ったのは現在「FREEDOM」に入っている「Warter pow」という曲で、その当時はタイトルが「壷」となっていた。なんと、そうたはここでも予選突破。ゆうたと同じでベスト40に選ばれ、横浜の関内ホールでの舞台に立つ事になった。バンド名は「HAGUKI」。大したギャグセンスだ。後にゆうたがタナマン、アラセとバンドを組む事になり、結果的には「HAGUKI DASH」という名前になるのだが....ステージでのそうたはド迫力そのもので、ひょっとしたら出場者NO.1だったかもしれない。ところがである。出場後そうたの言葉がおもしろかった。「俺、あーして本当に舞台に立って歌ってみたら、なんだか満足していない自分に気がついたんだ。という事は俺は音楽が芯から好きなんじゃなくて、ただ楽しみたいだけだったんだ。本当に自分が納得できて満足できるのはそれ以外の何かだという事に気がついたんだよ。」人間というのは不思議なものである。同じ、舞台に立ちながら、ゆうたは自分が音楽に生きる事を決心したのに、そうたは自分の人生が違う事に気がついたのだ。それからのそうたは、音楽を離れ、マンガを書いたり、ストーリーを考えたり、自分の世界を作り上げるのに専念するようになっていった。そのせいか、そうたは現在CGアーティストとしてSPA!で「みんなのトニオちゃん」を連載している。もちろん、B-DASHのアルバムジャケットのデザインもそうである。もし、そうたが音楽の世界に入っていたら、B-DASHのメンバーになっていたかと思うとおもしろい。現在でもそうたは、CGの創作活動の合間をぬってせっせとB-DASHのライブに通っている。結果としてはよかったのかもしれない。その後、そうたの抜けたこの「HAGUKI」が、ゆうたと出会い「HAGUKI DASH」としてバンド活動を再開するのである。

 


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