第三十三回「HAGUKI DASHとパフィー」

 HAGUKIから新生HAGUKI DASHへ。これは、偶然とはいえ、後で考えると運命的な転換だった。もし、あのままそうたがボーカルだったら、まったく違う運命をたどっただろう。ゆうたと荒瀬とタナマン。今にして思えば会うべくして会った3人だったのかもしれないが。

 ところで、HAGUKI DASHという名前でゆうた達がテレビに初登場した番組がなんだかわかるだろうか?先日、思いもかけずパパパパフィーに間寛平とともに、B-DASHとして出演したゆうただが、なんとこれまた不思議な縁でHAGUKI DASH時代にもパフィーの番組に出演していたのである。その当時、パフィーのテレビ進出のステップとして、テレビ神奈川で朝の情報番組「SAKUSAKUモーニングコール」という番組がスタートし、その中で「SAKUSAKUバンド道場」というのがあった。一般から、ライブビデオを募集し、毎週人気投票で、週間チャンピオンを選び、その週間チャンピオンがグランドチャンピオンを競うというものでした。今にして思えば、最近では超メジャーになったバンドもずいぶん参加していたけれど、なんとHAGUKI DASHは見事週間チャンピオンに輝いたのだ。それだけでも、僕は驚いたけどさらに初代グランドチャンピオン大会でさえも、大差で優勝してしまった。こ...これはなんという事。曲目は「MI・SO・SHI・RU」パフィーの反応がおもしろかった。バンド名「HAGUKI DASH」で、大笑い。さらに、曲名「MI・SO・SHI・RU」で大ウケ。

 HAGUKI DASHは、賞金10万円を手にすることになった。おそらく、彼等にとってこれまでで一番の大金だったに違いない。今でもそうだが、彼等が本当に偉いと思うのはどんな事でも、必ず3人で公平に3等分するという姿勢だ。誰かが特別という事がなく、バンドは常に3人の協力で成り立っているという事を大切にしている。ゆうたもタナマンも荒瀬も本当にいいやつだ。まだまだ、素人の3人だったが、すこしづつ自信をつけはじめていった。プロの出演するライブハウスで、やってみたい......そう思いはじめた時、新宿ロフトのオーディションがあった。さっそく受けに行き、合格したが、はじめてのステージは昼の部。お客は知り合い数人と他のバンドの応援メンバー。やりにくかったに違いない。僕も会場にいたけれど、その時感心したのはお客が多かろうと少なかろうとそんな事は、気にせず、自分達の音楽の世界をしっかりと表現していた事だ。

これは、大切な事かもしれない。普通、アーティストは会場が大きかったり小さかったりすることに、けっこう影響を受けたりお客の数を気にする物だけど、彼等の場合は、どんな時も自分達なりに最高のステージをやろうと努力しているように見える。

 


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