第三十五回「ゆうたちゃんジンバブエへ」

 アフリカの地図を開いてみてください。アフリカと言ってもとっても広いんです。赤道直下の国から、南の最南端の国まであります。あなたは、どれだけの国を言えますか?エジプトや、エチオピア、スーダン、アルジェリア、ケニア.....

 ところで、ジンバブエという国を知っていますか?昔は、ローデシアと呼ばれた国です。アフリカ大陸の中では、大体、中位置にあって東側です。この国は、以前、白人が大勢の黒人を支配し、過酷な人種差別で国際問題になりましたが、革命が起こり、今は、黒人国家です。この国のさらに東側、海岸沿いに位置しているのが、モザンビークという国で、ここで激しい内乱が起こったのです。モザンビークから、大量の難民が、ジンバブエへと流れ込み、その数は数十万とも言われていました。そして、世界の報道は、その悲惨な状態を連日、写し出していました。

 カンボジア難民キャンプの訪問から、5年の歳月が流れ、ゆうたも小学校の2年生になっていました。今回の旅は、いよいよアフリカ。カンボジアにも増して、長期の過酷な旅です。けれども、たくましく育ったゆうたなら、その困難を必ず乗り越えてくれる。今回は、あえて2年生のゆうたにもできるだけの力を発揮してほしい。子供にだってできる事はあるはず。そんな信念から、ゆうたをアフリカに迷わず同行させる事にしました。ゆうたも、アフリカの怖さや、厳しさを知らないせいか、平然とアフリカ行きを受け入れたようです。今でも、ゆうたにはどんな大きな事に大しても平然とそれを受け入れるところがあります。自分ができるとかできないとか、グズグズと考えずに自分のやれる事を自分のやれるペースで、もくもくとやり続けるのです。これが案外、強さの秘密かもしれません。どんな事でも不安がったり、失敗を恐れたりしたら、できませんね。

 今回のアフリカ行きも決して平たんな道ではありません。何万という難民の人達に音楽を届けるために、まず、募金活動からはじめねばなりません。私達一家は、再び渋谷のハチ公前に立って、募金活動のために路上ライブをしました。今回は、ゆうたもしっかりと募金箱を抱えてがんばりました。小学校2年生のゆうたと幼稚園生のそうたが、寒い中、必死に募金箱を持って立っている姿は、多くの人々に共感を呼び、カンボジアの時以上に、募金が集まりました。また、今度もそうたちゃんは家で御留守番です。ちょっとかわいそうでしたが、何度も御留守番をくり返したそうたちゃんが、今ではSPA!の連載「みんなのトニオちゃん」を根気よく我慢強く続けています。ひょっとしたら、その時は、残酷だったかもしれないけど、結果として、そうたちゃんはたくましく育ったかもしれません。それもこれも、あとになってみなければわからない事ですが。ただ、そうたちゃんをほっといたというわけではなく、こうした事情でお留守番をしなければいけなかった事を、きっと幼いそうたちゃんも気がついて自分なりにじっと我慢してくれたのかもしれません。

 アフリカまでは、本当に長い空の旅でした。インド上空から、マダガスカル上空を飛び、南アフリカへ。南アフリカの空港で、一夜を過ごしたあと、改めて北上してジンバブエのハラーレ空港へ到着しました。さすがのゆうたちゃんもクタクタのようです。ハラーレ空港で、僕達を待ち受けた難民を助ける会の先発隊の第一声が、「これから僕達、御葬式なんです。日本から、4人の難民を助ける会のメンバーが、このアフリカの難民キャンプに来たけれど、到着早々、メンバーの一人がマラリアで一昨日、死んでしまったのです。」「え!?死....死んだ!?」「はい...どうやら、蚊に刺されたようで、申し訳ないけど、すがはらさんもお線香をあげていただけないでしょうか?」僕は、目の前がくらむような気持ちだった。そして、異国の地の怖さを改めて身に染みて感じ、思わず、足下で何もしらずにこの話を聞いているゆうたに目を向けた。

 


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