第三十六回「命の儚さと尊さ」

 「御葬式?」ゆうたは何もわからない表情で我々の話をじっと聞いていたが、だんだんこれは大変な事なのかもしれないという顔つきに変わってきた。「それでは、これから一旦ホテルに向かいましょう」難民を助ける会のメンバーの運転で我々は首都ハラーレにあるホテルに向かった。ホテルはとてもきれいなホテルだった。一旦、そこで宿泊してから、改めて難民キャンプに向かうという。その日はハラーレ市内を歩き、難民キャンプの子供達にプレゼントする楽器集めをした。やはり、アフリカ。なかなか思うような楽器は見つからない。中心街でやっと楽器を見つけた。アフリカの民族色豊かな楽器が、たくさん並んでいた。この楽器が、どれほど難民の人達を勇気づけるだろう。とにかく、楽器さえあれば、音楽にお金はいらない。毎日、毎日多くの人達が楽しめるのだ。東京の雑踏の中で集めたお金が、ものすごい力に変わるのだ。ゆうたは、はじめて見る黒人の人、人、人の波の中を旅の疲れを見せずにしっかりした足音でついて来る。がんばれゆうた。

 翌日、我々はホテルを後にして難民キャンプの近くの宿舎に移動した。この移動だけでも、6時間の車の旅。行けども行けども、アフリカの大地だ。こんな風景はやはり、日本ではあり得ない。宿舎は古いコーヒー農場の中にあった。昔は白人が支配していたけれど、今は黒人の手に渡っているという。

 宿舎に着くと、すぐに御葬式になった。誰が用意したのかお線香があった。マラリアでなくなったのは、Aさんという50代の男性だという。日本で会社員をしていたが、問題意識を持ち、ボランティアで難民を助ける会への参加を決意。会社を辞めて、このジンバブエへ志願してきたという。志半ばでマラリアで、自分の人生を終えるなんて、考えもしなかっただろう。人生は皮肉だ。悪人が長々と生き延びて、悪事を働き続けているかと思うと、Aさんのように人生に目覚めた人がこの世を去らなければならない事もある。人間の命というものは自分が思っているよりも、ずっとはかない事なのかもしれない。生きている時には気がつかないけれど.......

 僕は、改めて生きている事の大切さをしみじみと感じて、ゆうたにも長生きしてもらいたいと思った。それにしてもこんな遠いところまでゆうたを連れてきてゆうたがマラリアにかからないという保証もない。また、どんな事件が待っているかもわからない。少し動揺したが「いや、それだからこそ人生なんだ。命のある限りがんばるんだ。」そんな気持ちが、沸き上がってきた。お線香の煙の中で、人の命の尊さと儚さをしみじみと感じた。明日から、どんな毎日が待っているのだろうか。明日は難民キャンプ行きを前に近くの村々を回って歌う予定だという。

 


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