第三十九回「アフリカの響き」

 難民キャンプの中央に大きな木が生い茂っていて、その周囲が広場になっていた。コンサートといっても機材はない。日本から持参した大きなラジカセと2本のマイクだけ。こんなに大勢の人々に果たしてその音量で届くだろうか。そのうえ、乾燥と砂埃でのどはガラガラ。最悪の状況だ。でも、そこが大切。ここは国連ホールやNHKホールではない。一般に日本のシンガーは最高の音響や照明スタッフに支えられて守られている。素人の人でもカラオケにいってエコーをつけて気持ちよく歌える。

 僕の場合、世界をまわっていると思いもかけないところで、歌わなけらばならない時が何度もあった。それが世界有数の大劇場だったり、なんの機材もない街角だったり、今、思うと、それが歌い手としての自分の力をつけてくれたと思う。どんな悪条件の中でも歌をしっかり歌う。それが大切。マイクが悪いから、舞台が悪いから、いい歌が歌えない。それは本物のアーティストではないと思う。そういう条件に左右されず、どんな時でもどんな場所でもしっかりと自分自身の歌を歌える事が、世界に通じる第一歩だと思う。

 ところで、あの大きなラジカセで「四季の歌」を鳴らしはじめるとあちこちの難民キャンプの家々から、驚くほどの人々が集まってきた。ちょっと気を抜くと、たちまち押しつぶされてしまう勢いだ。キャンプのリーダーが、大群衆に演説してくれた。すると、人の輪は大きく広がり、真中に舞台ほどの隙間ができた。僕と明子とゆうたはその輪の中に立った。ここでも、群集の目はゆうたに釘付けだ。子供の存在というのがこれほどに大きいとはつくづくまた、ゆうたを見た。昨日よりもずっと堂々としている。時々、難民キャンプの子供達に向けて笑顔で手をふっている。

 音楽が流れはじめると、カンボジアの時と同じように難民の人々にみるみる笑顔が戻った。そしてうれしい事に、いつのまにか民族帽子をかぶったおじさんが、キャンプにプレゼントしたドラムを自分流で叩きはじめたのだ。そのドラムの見事な事。本場アフリカンビートだ。ゆうたもビックリしたような面持ちでおじさんを見つめている。小さな体いっぱいにアフリカンビートをあびて。それから、次々にアフリカンビートが続いた。アフリカの大地。青空の下。これ以上のすばらしいステージはない。まるで映画のシーンの中にいるようだった。

アフリカンビートが青空に響きわたる。ゆうた感激。


 難民の人達は心の底から音楽が好きな人達だった。好きというより、宗教的な意味も含め、太古の時代から音楽とともに生きてきたに違いない。そういう意味ではアメリカや日本よりももっともっと生きた音楽の世界を持ち続けている。僕は、体の芯から感動した。これまでのどのコンサートよりも力強く、そして力強く...... それはこれまで、植民地支配に苦しんできたアフリカの人々の明日への叫びだった。

 

 


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