第四十二回「また一つ命が」

 こうして、B-DASHゆうた物語を書いていると、夕刊が届けられた。開いてみると、なんとあのジンバブエの記事が大きく掲載されている。暴動に次ぐ暴動。モザンビーク難民を受け入れていたあのゆうたちゃんの思いでのアフリカの国、ジンバブエが今、危機に瀕しているのだ。白人支配をやっと断ち切り、黒人主導の新しい国を作ったと思ったら今度は、多数派の黒人が少数の白人を迫害したり、占拠したりの事件が続発しているという。単純には言えないが、いじめたりいじめられたりのくり返しに共通する気がしてならない。弱者が弱者を叩く、悲劇だ。これも、長い植民地支配の傷跡と言えばそれまでだが、また違う意味でアフリカに行ってがんばらなくてはと改めて思った。次の時代を作るゆうた達も決して安心できる世界が保証されているわけではないとつくづく思った。

 ところで、アフリカの難民キャンプでは、もう一つ悲しい出来事があったのです。お話したように、僕達が到着した時にマラリアで亡くなった日本人の難民を助ける会員の葬儀がありましたが、それから、数週間のちにまた悲しい死に出会わざるをえなかったのです。難民キャンプで、ゆうたや僕達をあれほど、助けてくれた小林さんが、僕達をハラーレ空港に送った後、町中で大工道具を買い揃え、難民キャンプの宿舎に帰る途中、運転を誤って激突し、交通事故で命を落としたのです。小林さんはまだ、20代の前半。新潟県で大工さんの家に生まれましたが、なんとか自分を試したい、生かしたいと考え、アフリカの難民キャンプに飛びこみ、村作りに命をかけていたのです。僕も何時間も小林さんと人生を語り合いました。自分の技術を生かしてアフリカの貧しい人達の力になりたい。本当に心の優しい青年でした。ひとくちにボランティア、難民を助けると言いますが、こうした異国の地で活動をするという事は、生と死のギリギリのところにいるのです。僕達が滞在している時には、あんなに笑顔でがんばってくれたのに.....小林さんの冥福を祈らずにはいられません。僕が帰国するとすぐに、小林さんの遺体が羽田空港に輸送されてきました。最後に共に過ごした一人として、緊急連絡を受け、羽田に駆けつけました。小林さんの分までがんばって生きていかなければ。そして、歌い続けていかなければ。決心を新たにしました。

 

 

 

 


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