第四十八回「葉っぱと虫」

 この頃、ゆうたは小さな植物にとても興味を持ちはじめ、部屋中が小さな鉢だらけです。最初はこんなに小さな植物をいっぱい置いたら手間だけでも大変で、すぐにもてあましてしまうだろうと、思ったのですが、そこはゆうた。どんな小さな鉢にも愛情をかけてどれもこれも元気に育っています。山中湖にレコーディング合宿する時も「パパ、僕がいない間、植物が枯れないようにだけくれぐれもよろしくね」と言って出かけていきます。ゆうたが育てた小さな植物達が次々に芽を出し、すくすくと伸びていくのをみると、きっとゆうたもそんな中でいろいろと気がついたり学んだりしているのではないかなと思います。ゆうたは読書家で自分の気に入った本を徹底的に読む性格ですが、人の書いた事や言った事の受け売りは大嫌いで、必ず自分で体験してから人に伝えていきます。

 今朝も夜中じゅう作業をしていたゆうたが、朝ダイニングルームに入ってきていっしょにお茶を飲みました。我が家のダイニングルームからは公園の大きなケヤキが四季折々見えるのですが、この季節になって若葉が特に成長しています。ゆうたはそれをうれしそうに眺めているのです。きっと、それで仕事のストレスも消えていくのでしょう。ゆうたが日常生活で洋服や飲み代にほとんどお金を使わないのにいつもゆったりした心でいられるのは、この自然解消法かもしれません。実に安上がりな人間です。

 僕は中学校の頃にとても今のゆうたのように小さな命に関心を持ちました。友達の家でみんなで金魚にえさをあげた時の事です。その当時は市販の金魚のえさはなく、小さなミミズをあげていたのですが、ふと、そのミミズにも命のある事に気付いてしまったのです。小さな命を犠牲にして一匹の金魚が生きていく。しかも、毎日毎日たくさんの命を犠牲にして.....生きていく事が無意識に命を食い物にしていく事であると気がついたのです。1人の友達は「すがはら君、なに言ってんだい!どんどん食べさせろ!」と言いました。1人の友達は「ミミズがかわいそうだから、僕やらない!」と言いました。その帰り道、また思いもかけない事に気がついてしまったのです。なにげなく歩いてる土の上に枯れ葉があり、その下に小さな虫がいたのです。そして、僕はそれに気づかず、枯れ葉とともに、その虫を踏みつぶしていたのです。それに気付かず........

 その時、僕は人間は自分が気がつかなくても多くの命を失わせたり傷つけたりしている事に驚きました。どんなに気をつけて生きていったとしても本人が気がつかないだけかもしれません。僕は、人間にとって本当のやさしさとは何かという事を考えました。結論的にはこうした犠牲を受け止めて、自分なりに精一杯の命を生きていくという事だ。と考えたのです。まだまだ未熟な自分だったので、ただ感じただけですが、あの時の感覚は今でも忘れられないし、あの時それに気がついて本当によかったと思います。ゆうたが植物を育てながら、何を感じ何を考えていくのかわかりませんが、そうした小さな体験が大きな仕事の原点になるような気がします。

 

 


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