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ふるさと水戸での思いでのもうひとつは洪水だ。那珂川が氾濫すると決まって我が家の横を流れていた馬場川が大洪水になった。鶏小屋や豚小屋は水浸し。二階の屋根の上に逃げたこともあったっけ。昔はとにかくよく洪水が起こった。でも、子供だった僕はなんと洪水が来ると密かにうれしがっていた。だんだん、水位が高くなって床近くなって上がってくる。
大人達は大騒ぎをしているというのに、僕と言ったらどこかから樽を見つけてきてひょっこりそれに乗っかり、浦島太郎気分だ。生まれつき楽天的なのかもしれない。洪水まで楽しんじゃえ。子供だから許されるのかな。それに、うっかりして樽が倒れて泥水に放り出されると今度は、うれしそうにパチャパチャと泳ぎ出しちゃうんだから。なんとも変な子供だった。
今でも、泳いでいる鼻先に何かがプカプカ浮かんできたのをおぼえている。あまり言いたくないけれど、ボットン便所からあふれ出てきた便所紙が流れてきた時はさすがに鼻をつまんでしまったけど(笑)
とにかく、なにもかもが自然だった。昔は自然もただ、やさしいとか美しいとか言うだけでなく、恐ろしいということも子供心に気がついたのが今でもありがたいと思う。生きているということは、案外過酷なものなのだ。どんな状態にぶつかってもひるまずに乗り越えていく。洪水は僕にそれを教えてくれた。
ただ、どうしても悲劇だったのは、火事だった。父・勇次郎は当時のお金で何百万とかけてやっとの思いで大きな養鶏舎を建て、事業も軌道に乗りかけていた。母・幸枝も死にものぐるいで働いた。そんなある日、突然、菅原家は火事におそわれた。ひよこをあたためるための電球が加熱して発火してしまったのだ。木造の家は見る間に炎に包まれていった。泣き叫ぶ鶏たちも炎に消えていった。「逃げろ!」父の太い声に一家は命からがら逃げのびた。無惨に焼け落ちていく我が家をじっと見つめながら父・勇次郎はどんな気持ちだったろうか。40を過ぎ、6人の子供をかかえ、数百万円の負債がその肩にのしかかってきたのである。
続く......
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