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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第十六回
玉子屋

 玉子屋.....。この名前を知っていますか?先日のテレビ朝日ニュースステーションや、TBSブロードキャスターなどでも特集され、今、話題の外食企業ですが、なんと一社で4万食以上の弁当を生産し、驚異的な成長を続ける日本一の弁当産業です。

 実は、その社長が僕の兄の菅原勇継。そう、このやすのり伝記で旧満州時代にソ連軍から頭をぶち割られたあの勇継なのです。生きているということは不思議ですね。勇継は、成長し富士銀行に入社しました。その後、脱サラをしてはじめたのが玉子屋なのです。

 なぜ、玉子屋という社名になったのでしょうか。それは、やはり父の勇次郎の願いだったのです。授業中でさえも、僕を呼びに来て平和島温泉に連れて行ってしまった父。戦争で背中に何発も弾をうちこまれた父。そう、父はあまりにも無骨な人生だったのです。

 引き揚げ後、火事に合い、一家離散の形で上京した父はゼロからのスタートとして、故郷の水戸から豚肉や鶏肉を運び、東京で売る生活をはじめたのです。母・幸枝は結婚前は教壇に立っていましたが、先生以外の仕事はしたことがありません。その母が東京で豚肉や鶏肉を包丁で切って売らなければならなくなったのです。母は一人、泣き続けたそうです。でも、生きるため、子供を育てるためにしかたのないことです。

 素人の母は、誰に教わることもなく、独力でがんばりました。そして、小さなお店がはじまったのです。その屋号を決める時、父は玉子屋と名付けました。死んだ父に言わせると、これまでの荒くれな角張った人生を改めて、卵のように角のない丸い幸せな人生を送りたい。そう、真剣に思ったそうです。玉子屋という屋号の誕生には、こんな出来事があったのです。

 その時代、田舎の水戸に残されてきた兄や姉の生活はどうだったのでしょう。先日、二番目の姉・妙子の中学生時代の日記が見つかりました。

続く......

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