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「死ぬならお父さんといっしょ。家族はひとつです。」その言葉で審陽に残ったすがはら一家でしたが、奇跡的に生き延びました。しかし、その後、戦局は、ますます混乱を極めていきます。ある日、また現地の中国の人々の襲撃があるという噂が流れました。今、こうして話していると、なんでもないようですが、逃げ場のない当時の日本人にとってはどれほどの恐怖だったでしょう。だが、このときもすがはら一家は奇跡的にいきのびたのです。それはなぜか?なんと、現地の中国人達がこっそりとその情報をすがはら家に伝えに来たからなのです。中国人が言うには、「いろいろな日本人がこの町にいたけれど、すがはら一家は私たち中国人に心からやさしくしてくれた。その恩返しに私たちはあなた達一家を助けたいのです。」と言って、裏木戸から、そっとすがはら一家を安全な場所に案内して連れて行ってかくまってくれたという。もちろん、父も母もこんなことを考えて現地の中国の人達にやさしくしていたわけではない。困った人。苦しんだ人達をいつも大切にして生きてきた父や母にとってはあたりまえのことだったのだ。たとえ、戦地といえども、しょせんは人と人とのつながり、ふれあいだ。もちろん、それまで中国の人達を痛めつけていた日本人達は、無惨な死を遂げた人も多いという。ところで、それよりも恐ろしい出来事が起こった。
終戦間際にそれまで同盟を結んでいたソ連が日本敗戦近しと見るや、突然、参戦してきたのである。中国とソ連は陸続き。北からソ連軍が南下してくるといううわさは、気が狂うほどの恐怖だった。間もなくそれは事実となった。ある日、町にソ連軍が姿を現した。それは、恐怖の瞬間だった。その時、兄達はいつものように路地で遊んでいた。たとえ戦争といえども、子供にとっては毎日の生活である。すると、無邪気に遊んでいる兄たちに向かってソ連兵達が銃を持ち、笑いながら軍用車で近づいてきた。その銃は明らかに兄達に向けられている。幼い兄たちは恐怖で路地を逃げまどった。その姿を高笑いしながら見ているソ連兵の姿を兄は今でもはっきりおぼえているという。やがて、ソ連兵達は笑いながらまるでうさぎ刈りでもするように、兄たちを軍用車で追い回した。兄たちはまた必死で逃げまどった。そして、兄は軍用車にひきつぶされた。頭は割れ、あたりは一面血の海となった。驚いた子供達が慌てて母にそれを教えに来た。現場に母が飛び出していくとソ連兵はすでにいなかった。ただ、頭から血を流した兄の無惨な姿だけが残っていた。母は泣き叫んだ。病院にかつぎこまれた兄は大手術の末、一命をとりとめた。しかし、そのあと巨大な傷跡とハゲが幼い心をどれほど傷つけたことだろう。戦争は確かに人間を狂気にする。ドイツのナチス収容所の話も人ごととは思えない。今、兄はこの傷を乗り越えてもちろん、堂々と人生を築いているが、やはり、生きていて本当によかったと思う。
戦争の恐怖はこれで終わることはなかった。さらに事件は続くのである.....。
続く.....。
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