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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第二十五回
優秀賞

 中学に入学すると、勉強が大変だった。もともと僕は子供らしい子供で、ほとんど勉強をしなかったから、中学に入って、勉強が複雑になると乗り遅れてしまった。

 小学校までの勉強は、なまじ頭の回転が早かったので、何もしなくてもその場でぜんぶできてしまったのだが、中学校になるとそうはいかない。法則を覚えたり、単語を覚えたりしなければ、絶対できないのだ。つまり、記憶力中心の学習に変化したのだ。

 これは本当に辛かった。家に帰って勉強をするという習慣がない生活だった。帰宅すると、お店の手伝いをするか、それがない時は、暗くなるまで遊び続けていた。勉強は授業中に聞くだけだった。

 そういう意味では、今、世界の舞台で英語で話したり、歌っている自分から考えると想像がつかないが、最大の不得意は英語だった。なにしろ、単語をひとつも覚えてないんだから(笑)成績は急降下。まぁ、落ちこぼれに近いかな(笑)

 その反面、美術と音楽だけはずば抜けていた。嘘ではなく、試験はほとんど100点。なにしろ、答えがすぐにわかっちゃうんだから簡単だ。作品もいつも満点。多分、校内で一番だったんじゃないかな(笑)

 ある日、担任の先生から呼び出された。先生は片手に賞状を持っていた。そして、僕の目の前に突き出すと「すがはら。お前が授業中に書いた絵を美術の先生が展覧会に出したら、優秀賞を受賞した。と言ってこの賞状を持ってきたんだ。」僕はチラッと賞状を見た。

 それにしても担任の目がきつい。その次の瞬間。「このバカヤロー!絵だの歌だのくだらないことにばかり熱中しやがって」と突然、僕にビンタを食らわせてきたのだった。その痛さはあまりにも強烈で涙さえこぼれなかった。「受験があるというのに、コノヤロー!ふざけんな!」まるでヤクザだった。

 この先生はクラスの生徒を次々によい学校に入学させると学校中の評判の人だ。大森三中は当時、公立なのに東京一の受験校として神奈川県や千葉県からも越境入学してきたほどだった。毎年、日比谷に30人、早慶に30人。今思うと驚異的な数字だ。その裏にこんな脅しがあったなんて、僕はその翌日からよけい勉強したくなくなってしまった。「先生こそバカヤロー」

続く......

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