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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第二十六回
偽りの通信簿

 いよいよ、受験期を迎えた。学校から進路相談の通知が手渡された。僕の家はお店があり、どうしても母が昼間でかけることはできない。父もその時間、いない。しかたなく、姉が代理で出席することになった。

 進路相談が終わり、帰宅した姉は家に着くなり大声で泣き始めた。悔し涙である。担任のF先生に日比谷のある第一群を本人にあきらめさせろとしつこく怒鳴られたと言うのだ。たった一人、未成年の姉が出席したのも悪かったらしい。

 翌日、さっそく僕も担任に呼び出され、何時間にもわたり怒鳴られ続けた。姉と相談し、結局公立をあきらめ、内申書に比較的関係のない私立を受けることにした。僕が受けたのは、早稲田大学高等学院と駒場東邦の二校である。今、思えば両校難しい学校で万一、落ちていたことを思うと、無謀だったかもしれない。夜中、負けず嫌いの姉は「やっちゃん、くやしいじゃない?絶対にがんばって早稲田に入ろうね。」と涙を浮かべながら僕に訴えてきた。

 そのころの僕は、引き揚げ家族で決して家も裕福とはいえなかったので、まさか自分が大学まで行くとは考えていなかった。しかも、早稲田は私立である。費用もかかる。それなのに家族が応援してくれるという。うれしかった。翌日から僕は猛勉強をした。不思議だ。あれほど苦手だった英語も数学もすべて驚くほどやさしくなってしまった。今でも、おぼえているが、早稲田の試験当日は全科目規定時間の半分で答案用紙を書き終えてしまい、見直しても時間が余り、試験官に言って外に出て一人で遊んでいたのをおぼえている(笑)なにしろ、どれもこれも答え以外に考えつかないからだ。たぶん、ほとんど満点だったのではないだろうか(笑)

 人間、なにが幸いするかわからないものだ。担任の脅しがなければ、たぶん、僕は早稲田には入らなかったと思う。美術の先生や音楽の先生は、芸大進学を強く勧めていたし、僕自身、そんなに早稲田を目指していたわけではなかったからだ。

 学科の発表の日、のんきな僕はお花見にでかけ、友達に発表を見に行ってもらった。夜、電話があり、「僕は落ちたけど、菅原君だけ受かってたよ」と言われ、慌てて友達の家に面接書類をもらいにいった。今でも、その友達にはすまなかったと思う。それだけ僕はのんきなのかなぁ(笑)

 翌日が面接、寝坊して慌てて出かけ面接の時に帽子を脱いだら鳥の巣のようにクチャクチャだった。帰ってまじめそうに見えたかもしれない(笑)

 とにかく、こうして無事、早稲田大学高等学院に入学決定したが、卒業後、ある人の話で担任Fのあの恐喝の意味がよくわかった。つまり、クラスで犠牲者を作り、その生徒の通信簿の5と4をすべて剥奪し、他のギリギリの生徒にまわすのだ。僕はずいぶん5と4があった。だから、貧しい家に見え、しかも母の代わりに姉が出席した僕は一番のターゲットだったのだ。特に医者の息子だったK君にはたくさんの5が振り分けられたという。

 今考えると、決して許されないことだが、当時、秘密裏にこうして二重通信簿が作成されていたのだ。F教師がとびきり入試の実力教師と言われた理由がそこにある。Fは、その後出世し、各校長を歴任し、さらに都の教育委員会の重職についた。この事実を知って今でも、官僚主義の恐ろしさを痛感するのである。

続く......

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