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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第三十三回
のど自慢

 今なら、笑い話になるところだが、実は僕はこの時期、のど自慢に出演したのだ。高校三年の受験の時期にちょっと恥ずかしい話だが、僕は高校の合唱団グリークラブに入っていた。後輩に小笠原君というのがいて、テレビののど自慢に出ようとさそわれたのだ。

 毎週、日曜日放送の番組でタイトルは忘れてしまったけれど、十朱幸代がデビュー前でお父さんの久雄と二人で司会をしていた。予選のはがきを手に二人で予選会場へ行った。出演できるのは、数名なのになんと何百名もの応募者が予選会場にひしめきあっていた。それこそ、一声出したとたんに鐘が鳴ってしまう人もたくさんいる。

 物まねの部とのど自慢の部があるという。僕はふざけて、ものまねの部に出てみた。神戸一郎という歌手をご存じですか?その頃、二枚目歌手として人気絶頂でした。タイトルがおもしろいのですが、「りんごちゃん」という曲があったので、僕はちょっと神戸一郎のような声で、「りんごちゃん」を歌いました。

 すると、合格してしまったのです。小笠原君は不合格で落ち込んでいました。そして、なんと僕はテレビに出ることになってしまったのです。それも、テレビに出る時はものまねではなく、のど自慢ででてほしいというのです。僕は本格派歌手、若山彰の「惜春鳥」という歌を歌うことにしました。高校生のくせに生意気です。

 「流れる雲よ、朝空に朝空に.....」という歌詞から始まる歌でテレビの主題歌だったような気がします。それが、なんとやはり全出場者の最高得点でチャンピオンに選ばれてしまったのです。

 放送の翌日、僕は学校で恥ずかしくて顔を上げる事ができませんでした。「昨日、テレビで見たよ。」と言われるたびに僕は胸がどきどきしました。当時、僕はテレビののど自慢で歌うということが、とても下品ではずかしいことだと思いこんでいたのです。小学校の頃は、子供が歌謡曲を歌ってはいけないと禁止された時代ですから(笑)

 そして、さらにまずいことに(笑)今度は、グランドチャンピオン大会というのがあって、な、なんとそれまでの全出場者の中で僕が最高点だったらしく、商品の高級乗用車が飾られ、くす玉が用意され、僕はまさにスター誕生直前の状態になっていたのだ。

 幸運にも僕は準優勝。商品は豪華なベッド(笑)それでも、多くのプロダクションからさそいがきました。不思議ですね。その頃は、そんなことをしている自分に不思議な自己嫌悪を感じていたのですから。

続く......

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