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歌や、絵の道を断念した僕でしたが、その代わりに何をしたらいいのかは、まったくわかりませんでした。そして、何になったらいいのかも想像がつきません。そのうち、進路決定の季節が来ました。
まず、文化系と理科系に分けられるのです。僕は、苦しみました。文化系も理科系もどちらだけという考えにはなれないのです。でも、その決定によって人生はまったく変わってしまうのです。
母は、「やっちゃん、自分の好きなことでいいのよ。やっちゃんは、文学が得意だから、文学部にいったらどうなの?」と言ってくれました。
当時、恥ずかしい話ですが、オリンピックを目前に世は高度経済成長時代。早稲田理工学部の偏差値が異常に高くなっていました。そして、クラスの成績上位者のほとんどすべての人が、理工学部を選択したのです。僕は、手を上げることができませんでした。
すると、先生が「菅原は成績が上位だから、理工学部に行ったら?」と言いました。僕は、文化系でも理科系でもなかったので、とりあえず、理工系クラスに入りました。
ところが、僕は理工学部にどんな学科があるのかすら、知らないままに毎日のんびりと過ごしていたのです。そして、最終的な学科選択の日が来てしまいました。機械工学?電気工学?応用物理?エェ!?そ、そんな一生そんな勉強をするなんて、僕にはつらすぎる。
すると、建築学科という文字が突然、輝き出しました。あれ?理工学部にこんな学科があるんだ。のんきなものですね。そうだ。建築家といえば、ミケランジェロやダビンチ。すごい偉人がいっぱいいる。そして、ひょっとしたら、好きな絵や音楽が役にたつかもしれない。今、思えばもし、理工学部に建築学科がなかったらと思うとぞっとします。
ところが、オリンピック景気の建設ブームのため、早稲田の理工学部の中でも建築学科だけが、異常に高い偏差値になっていたのです。
そして、最終選択の日。先生の面接に行きました。すると、どうしたことでしょう。先生は、成績表を開いて「無条件でそのまま推薦入学で、建築学科に入れますよ。」えぇ!?僕はまた、のけぞってしまいました。ほとんどの人が、建築学科を断念せざるをえない中で、こんなにのんびりしていた僕が、無試験で入学許可されてしまうなんて.......。もう大学受験も必要ないのです。まるで夢のようです(笑)
あとで気がついたら自分が知らないうちにクラスの数名の成績最上位グループにいたのです。きっと、何も考えずにのんびり過ごしていたことが、幸いしたのかもしれません(笑)
なんで、いつも運がいいんだろう。僕は考え込んでしまいました。決して、建築学科を狙って欲張りに生きていたわけではないのに。
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