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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第三十六回
新しい道

 人間って不思議ですね。早稲田大学理工学部に入学して、しばらくするともうすっかりその道になじんでいました。もちろん、建築学科は理工学部にありましたが、一年生の時はデッサンがあったり、設計実習があったりとむしろ僕の好きな学科がたくさんありました。

 デッサンの時間になると、いろいろな被写体をデッサンするのですが、おもしろいほどよく書けて毎回、高得点を得ることができました。また、設計実習はいろいろなものを自分のアイデアで設計をして、提出するのですが、これも得意だったので、比較的楽しく取り組むことができました。

 正直なところ、数学や物理は決して得意とは言えませんでしたが、実際に授業を受けてみると、簡単で別に悩みはなくなりました。案ずるより産むが安し、とはこのことですね。今、思えばもともと美術が得意だったことは、ずいぶん建築学科のなかでも有利だったと思います。

 さいわいなことに自然なかたちで建築学科の生徒としてなじんだ生活がはじまりました。もう気持ちはすっかり建築家。歌手だの絵描きだのどこかに置き忘れてしまっていました。人間って単純なものですね。

 ある日、クラブの岡山さんという先輩との出会いで、僕は思いもかけず学業をやりながら、フジテレビのフロアディレクターをやることになりました。岡山さんは当時、フジテレビの売れっ子プロデューサーで、ミュージックフェアという番組を担当していました。

 そのころ、ミュージックフェアは、日本の歌番組のなかでも最高峰で、日本はもとより世界のトップミュージシャン達が次々に出演していました。はじめは不慣れな僕でしたが、少しづつなじみ、毎週土曜日の収録の時には、もうフジテレビの社員のような立場で番組作りに参加していました。

 司会は長門弘之さんと南田洋子さん。お二人は、まるで家族のようによくしてくれ、お宅にも招いてくれました。この時期に、美空ひばりさん、江利チエミさんなどトップスターの生の歌声をスタジオで聞けたこと。また、じかにいろいろお話できたことは、その後の僕にとって大きな財産です。特に美空ひばりさんの歌に対する真剣な姿勢には、感動させられました........。

続く......

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