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Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第四十六回
ハプニングコンサート

 サンフランシスコのこの夜の出来事は、僕の青春の1ページとして永遠に忘れられないことだろう。夫婦はまた、出会ったロビーに僕を送ってくれると笑顔で手を振って分かれた。それが、あまりにも自然なことなのだ。きっと、家に残してきた子供達のところに戻るのだろう。僕はあえて住所や電話番号を聞かなかった。大切な夢物語として心に永遠にとめておきたいと思ったからだ。「さようなら、ありがとう」深夜の街に小さく消えていく赤いスポーツカーを見送りながら、僕は夢の続きの中にいた。

 翌日、僕はサンフランシスコの街に出かけた。ちょうど、その頃はベトナム戦争の真っ最中。アメリカ中から平和を求める人々がこのサンフランシスコに集まっていた。そう、あのヒッピー文化の中心地だ。多くの若者は裸足で街を歩いている。自然を求める若者達だ。それがさわやかでなんともかっこいい。都会を裸足で颯爽と歩けるなんて。それは、サンフランシスコの街が花と緑の美しい環境に包まれた街だからできることだった。むしろ、裸足の方が美しい風景に見えるほどだった。

 当時、東京はといえば、オリンピックの直後で高度経済成長まっただなか。空気は排気ガスで汚れ、夏になると必ず光化学スモッグ注意報が出るほどだった。新宿や渋谷の街角は捨てられたちらしや紙くずが散乱し、ガラスの破片も散らばっていた。もし、一日裸足で歩いたら真っ黒に汚れひどい場合には、足をガラスの破片で切るかもしれなかった。やはり、人間が豊かな心で生きていくためには美しい環境が大切なのだとこのサンフランシスコに来てしみじみ思った。

 そして、サンフランシスコは同時に歌の街だった。ギターを持った若者達があちこちの路上や広場で自由に歌っている。そう、今でいえばストリートミュージシャンのはしりだ。僕はヒッピーの多く集まるアシュベリーに行った。そこの地域は特にストリートミュージシャンが多かった。当時はボブディランやジョーンバエズなどが特に人気で、「風に吹かれて」や「ドナドナ」など、日本でもおなじみの曲が多かった。日本から来た若者ということで、僕はすぐにストリートミュージシャン達の人気者になった。たった一日でである。アメリカという国は本当におもしろい。最初の頃は英語の歌を中心に歌ったのだが、僕が日本の民謡でソーラン節を歌い出すとこれがおおうけ。「ヤーレンソーランソーランハイハイ♪」アメリカの若者達もすぐにおぼえてかけ声をかけだした。いつのまにか、ソーラン節のディスコパーティーだ。もちろん、日本のヒット曲もいいけれど、こうして土着的な民謡がこれほど力を持っているということを発見してちょっとうれしかった。そういえば、その頃の音楽の中心はなんといってもフォークソング。つまり、日本語に訳せば「民謡」だ。今、思えばソーラン節も立派なフォークソングだったのだ。僕はサンフランシスコのハプニングコンサートを心ゆくまで楽しんだ。

続く......

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