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サンフランシスコからまた日本に向けてマルガリータ号は太平洋を航海した。往路は、何もかもはじめてづくしで刺激の多い日々だったが、帰路はかなりゆとりもできて、船上もにぎやかになった。船上にはいろいろなサークルができ、たくさんの人のつながりが生まれていった。もともと知らない同士の800人だから、今思えば巨大な合コンだったかもしれない(笑)太平洋の星空の下で恋をささやき合うカップルの姿も増えていった。とにかく、青春の日々だ。
僕の作った太平洋大学合唱団も大きく成長し正式メンバーが数十人に増え、すばらしい混声合唱が可能となった。僕自身もドイツ語クラブや軍事研究会(ちょっと怖そうだけど、決して右翼とか左翼とかではなく世界の軍事勢力を科学的に分析し、冷静に判断するというきわめて冷静な研究会で今でも世界で平和活動をするのにとても基礎知識として役に立ったと思っている。やはり、世界の現実をきちっと認識しておくことは、島国日本にとっては重要なことなのだ。)など、いろんなおもしろいクラブで活躍した。ドイツ語クラブは帰路、ドイツ語劇を上演することになった。ドイツ人講師のとびっきり美人のマーラーさんの指導のもと、みんな必死にドイツ語を勉強した。幸運にも僕は英語以外、高校3年間第二外国語はドイツ語で、大学では上級ドイツ語クラスに入っていたので、当時、かなりドイツ語ができた。そこでドイツ語劇の台本、脚本を僕がドイツ語で書き上げることになった。構成演出も僕だ。これは、フジテレビ
ミュージックフェアでの演出経験が生きた。なにしろ、ドイツ語で台本を書かなくてはならないのだから、今考えれば冷や汗ものだ。さらに、ドイツ語を使える人が少ないということで、主役まで演じるはめになった。驚いたことに本番では、ドイツ語がスラスラと出てきて自分でもびっくりした。ドイツ語劇は大好評でした。(残念ながら最近では、ドイツ語を何も使っていないのでほとんど忘れてしまった僕(笑))ドイツ語劇と同時に船上には、劇団が創設された顧問は今は亡き映画評論家の荻昌弘さんだ。荻さんとは、ロサンゼルスのディズニーランドではじめてお会いして以来、とてもよくしていただいた。荻さんは、直接アメリカに空路で飛び、帰路だけ太平洋大学の講師として参加したのだ。何しろ、その頃の荻昌弘さんは超売れっ子ジャーナリストだった。荻さんは、僕に「すがはらさん、ご自分で創作劇を作って上演してみてください。」と宣告した。「え?またドラマを作るのか。」仲間達と相談してタイトルは「暗闇のフラッシュ」に決定。当時アメリカで大きな問題となった黒人差別をテーマにしたドラマになった。
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