top


Yasunori Sugahara

-「やすのり伝記」-


第五回
ついに帰国の日が....


 1946年6月、ついに菅原一家に帰国の日が訪れた。引き揚げ船に乗船の日だ。僕は、生まれてまだ1歳になっていない。終戦の動乱と恐怖で、早産し、未熟児として生まれた僕だったので、その姿は骨と皮ばかりで、異様に目が見開いていた。今でも、よくアフリカやアジアの難民の子供達の写真が、同情を引くけれど、僕自身がそんな子供だったのだ。引き上げにあたって、財産は一切没収された。生活の身の回り品だけが、許されたのだ。後になって、母は、よく言っていた。「お父さんと私は、くそまじめだから、本当に全財産を渡してきてしまったんだよ。ほとんどの引き揚げ者達は、それぞれに隠し財産をそれなりに持ち帰ったのに.....バカ正直なんだよねぇ。」とにかく、無一文の菅原一家である。引き揚げ船の中で、子供が死んだ。悲しむ母親の手から子供が取り出され、シーツにくるまれた。そして、海に投げ込まれた。船の上で、腐敗して伝染病が、まん延するのを防ぐためである。かわいそうな運命である。未熟児で、栄養失調の僕は、まさに生死の間にいた。あの時、命を落としていたら、肉体さえ、消えていただろう。

 菅原一家には、「やえちゃん」というお手伝いさんがいた。そして、そのやえちゃんも菅原一家とともに引き揚げ船に乗り込んだ。食べ物のない兄や、姉たちにやえちゃんは、食料を運んできてくれた。ある日、父がやえちゃんを怒鳴りつけていた。やえちゃんは泣いていた。やえちゃんは、かわいい娘だった。どこでその食料を手に入れたのか。父は、問いつめた。そう、やえちゃんは、船員達に体を売るかわりに食料を手に入れていたのだった。もちろん、この飢餓状態のなかで、やえちゃんのとった行動には、賛否両論があるだろう。やはり、父にとってはどんなに苦しい状況であろうと、それだけは許せなかったのだと思う。何も知らない兄や姉にとって、確かにお菓子は宝物だったかもしれないけど.......。どんなに、苦しくても、まっすぐに生きていく。それが、本当に正しいかどうかは人それぞれだろう。ただ、振り返ると僕自身、バカ正直なほどまっすぐな生き方をしてきてしまったのもやはり、父の影響かもしれない。

続く.....。

top

 

 




………禁無断転載 1999 2000………