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引き揚げ船は九州・博多港に到着した。やっと、祖国にたどり着いた人々の気持ちはいかばかりだろう。菅原一家もその人波の中でもまれながら、本土に上陸した。
帰国した引き揚げ者には、一枚づつ毛布が配られたという。帰る家のあるものはいいが、帰る家を失ったものは、その毛布一枚で生きていかなければならない。戦争は過酷である。国の面倒もここまでである。一家は、博多から東京に向かった。むせかえるような列車で、どれだけの時間がかかったというのだろうか。5人の幼い子供達にとっては、過酷な旅であった。
父の名は勇次郎、母の名は幸枝。二人の故郷は、茨城県水戸市であった。勇次郎と幸枝がはじめて会ったのは、お互いに小学校5年生の秋だったという。二人は同じ学年だったが、学校は違っていた。それぞれの学校で、駆け足の速い男の子と女の子がいると、評判だった。学校対抗の運動会になると、二人は必ず顔を合わせた。お互いにライバルだ。幸枝は、ライバルの勇次郎に敵対心を持つと同時に、ひょっとしたら何かほのかな思いを感じてたのかもしれない。
ある日、偶然に勇次郎がぼた餅を届けに幸枝の家を訪ねた。玄関先で目を合わせた二人。ライバルにここで不思議な絆が生まれたのだろう。
その後、二人は会うことはなかった。勇次郎の両親は、彼がまだ10代の時に、二人とも他界した。勇次郎の10代は、そのため苦難の連続だった。成績はずば抜けていたが、家庭の事情で進学は断念せざるをえなかった。今の自分の立場を考えれば、軍隊に入ることが、一番の孝行だと思った勇次郎は、剣の道に勤しみ、軍関係へと進んだ。
ひとくちで、剣の道というけれど、血の小便が出るほど、努力をしたという。その結果、勇次郎は軍の中でも、剣にかけては飛び抜け、次々に賞を受けた。その頃になると、幸枝はある小学校の教壇に立っていた。決してつきあっていたわけではないけれど、そんな勇次郎から見ると、子供達に囲まれ、オルガンを弾きながら歌う幸枝の姿は、天使のように見えたという。
続く......。
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