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菅原さんのうちでは、お猿まで飼っている。そう思われたのには理由があるのです。当時、引き揚げ者にはお金がありません。材木を探してきて自分で粗末な手作りの家を作らなければならなかったのです。そして、生活をするために何かをしなければならなかったのです。勇次郎がまず、したことは、豚や鶏を手に入れてその卵や肉を売ることでした。だから、菅原家には、豚や鶏が庭先にうろうろしていたのです。
そんななかで、赤いチャンチャンコを羽織ってやせこけてうずくまっていれば、猿に間違えられるのも仕方がなかったのかもしれません。いま、思えばこんな悲惨な状態でもすぐにできることから立ち上がり、第二の人生をスタートさせた勇次郎の勇気と決断力はやはりすばらしいと思います。どんなに嘆くよりも、今日一日を精一杯生きること。それが、苦難を乗り切ってきた父の信念でした「お金がなければ、頭を使え。頭がなければ、体を使え。人間最後まであきらめるな。」父の声が聞こえてくるようです。
我が家は、いわゆるバラック。素人作りなので雨が降れば、たちまち雨漏りです。夜、寝ている枕元に雨のしずくが次々にしたたり落ちてきて本当に困りました。そんな生活の中で勇次郎の楽しみはお風呂でした。これも、拾ってきた大きなドラム缶のまわりを廃材で囲って作っただけのお風呂。ちょうど屋根のすき間から、空が見えて星が見えます。勇次郎は、どういうわけか僕と夜、お風呂にはいるのがうれしかったようです。よく、こう言いました。「やすのり、こうやって父さんとお風呂に入れることが、どんなにうれしいかわかるかい?生きてるんだよ。もし、戦争で死んでいたらこんな幸せはなかったんだ。」幼い僕は、勇次郎の言葉の意味がよくわからないまま恥ずかしそうに父の方を見て笑い返した。そう、多くの仲間が戦死していったあの悲惨な中国大陸。今、ふるさとでこうして我が子とお湯につかっている自分の幸せをどれだけ父は感じていたことだろう。父はこうも付け加えた「やすのり、戦争はいけないよ。戦争ほど人を傷つけるものはない。父さんは命がけで戦ってきた。そして、今、戦争の恐ろしさをしみじみ思うよ。」そんな父の言葉が今でも僕の平和への原点につながっているような気がする。
続く......。
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